—— 働く場における「音」選びの基準のようなものはありますか
音の選び方は、個人の嗜好の違いがあるので、原則的には自分に合うものを発見するべきだと思います。ある人は、ヘビメタを聞いたときに最もリラックスできると言います。それはひとつの正解で、その人の価値観や歩んできた道のりがそういう効果を生み出すのでしょう。ただ、そういう人は少し特殊なケースで、大勢の人に当てはまる音楽とはやはり違います。
リラックスのためには、自律神経のうち副交感神経を優位にさせることが有効で、そのための音の在り方があります。人間の身体は、音に対して脳が反応して、リズムやテンポに同調しようとする性質があります。これをうまく活用するといい。
例えば、気分が落ち込んでいるときは、その精神状態に寄り添う静かで落ち着いた曲調を選び、徐々に気分を高揚させる音楽へと移行していくことで、脳が音楽に共感してもらったような感覚になり、少しずつ気持ちが盛り上がっていきます。このとき、気分を高揚させようとして、最初からアップテンポな音楽を選ぶと、脳はそれに付いていくことができず、逆効果になってしまうことがあるので注意してください。
—— 求める精神状態に合う「音」だけを考えてしまいがちですね。他に意識するべきことはあるでしょうか
「呼吸を少しゆっくりに」させることも大切です。私の音楽では聴き終わったときに、聴き始めたときよりも自然と呼吸がゆっくりになっている状態を目指しています。ゆっくりとした呼吸は、免疫力を高めることにも繋がります。音以外では、アロマや、お風呂に浸かることなどでも同様の効果が期待できます。
—— 免疫力はコロナ禍でさらに注目されていますが、音楽でも実現できるのですね
呼吸をゆっくりにすることは、万能だと私は考えています。呼吸をゆっくりにさせると、副交感神経が優位の状態になります。それは、免疫力の高い状態になるということです。
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呼吸をゆっくりにする時間をルーティンとして持つ
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呼吸をゆっくりにする楽曲のプレイリストを持つ
日頃からこういったことを行なうことは、働く場における集中やコミュニケーション活性化の観点でも大変有意義な手段だと思います。
「Silent」と「Quiet」
—— 働く場では、「集中力を高める」、「コミュニケーションを促進する」仕掛けやデザインが求められることが多いのですが、働く場に相応しい音は、どのようなものでしょうか
働く場には、全く音がない「無音状態」が良いと考える人は少なくありませんが、そうではありません。このことは、「Silent(サイレント)」と「Quiet(クワイエット)」の違いについて説明するとお分かりいただけると思います。
Silentは、騒音計で計測したときに針がまったく振れない状態です。それを実現した「無響室」という、製品の音を測定したり、直接音のみを録音したいときに使用される部屋があります。過去に、その完全な無音状態である無響室で、全ての明かりも消した場合にどの程度耐えられるかを自ら実験をしたことがありますが、5分と耐えることができませんでした。Silentな状態は、極端に不自然な状態で決して心地良いものではありません。このことから、働く場の活性化のためにSilentは目指すべき音環境ではないと考えます。
—— 少し想像しただけでも気がおかしくなりそうです
一方で、Quietは、穏やかな音の状態で、人が心地良さを感じることができます。いちばん力を発揮するのは、やはり自然の音です。自然界には、穏やかな風の音や、川のせせらぎ、木々の揺れる音などがあります。そういう環境では、脳はそれらの音が存在していないかのような、安定した状態を示します。
—— 自然の音のBGMは、コロナ禍をきっかけにYOUTUBEなどでもたくさん目にするようになりました
集中するためにも、他者とのコミュニケーションにも、精神を安定させることは欠かせないので、Silentではなく、Quietな音の状態を目指す音環境が望ましいと考えます。自然の穏やかな音は脳にとって邪魔にならず、ずっと聞いていることができます。
—— 先生の理想に近い音環境を実現できている施設などはありますか
私が理想とする音環境のひとつに、ベトナムのニャチャンに、シックスセンシズ・ハイダウェイ・ニンヴァンベイ(※1)というデラックスリゾートがあります。
例えば、ハワイのリゾートホテルでは、大抵BGMはハワイアンミュージックでハワイに滞在している気分を盛り上げようと演出しますよね。それが、ここではまったくそういうことはない。デザインワークとして制作されたのかどうかは分かりませんが、穏やかな波の音が絶妙なリズムで流れているだけなのです。こういう音の在り方は理想ですね。
「鑑賞音楽」<「環境音楽」
—— 環境音楽のマスキング効果について教えてください
例えば、飲食店で音楽がかかっていないケースはほぼないと思います。それらの音楽は、ブランディングのために選ばれたものと、サウンド・マスキング効果を期待したものであることがほとんどだと思います。静寂の中で飲食していると、周りのテーブルの会話や食器の音など、あらゆる音が雑音として耳に飛び込んでくることになりますので、リラックスして食事を楽しむことは難しいでしょう。
その点で音楽は、パーティションを立てるなどの物理的な遮断をせずとも、自分たちの空間を確立することができます。音にはそういう力がありますね。
—— 働く場でも同じことが言えるのでしょうか
働く場では少し違って、「鑑賞音楽」ではなく「環境音楽」を選ぶべきだと思います。ダイレクトなメッセージ性を極力持たない音楽が相応しい。それらはQuietな環境とは対極にありますから。
ダイレクトなメッセージというのは、例えば15秒CMなどが分かり易いと思います。このときには、ダイレクトで高刺激型のメッセージが必要です。そういうものでなければ視聴者に何らかの直接的なアクションを起こさせることはできないためです。
環境音楽のQuiet型のメッセージは、超低刺激型のじわじわ型。込められたメッセージ性は非常に強いですが、印象的な言葉やメロディをともなわない、刺激としては弱いものです。やはり自然の音は最適だと言えます。